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これまで行った数々のイベント

市民活動センター主催 龍ケ崎、歩く歴史講座(市街地西地区)

事業区分:コラボ事業/市民活動センター

市民活動センター主催、龍ケ崎市教育委員会共催、NPO龍ケ崎建物保存会共催「龍ケ崎、歩く歴史講座」は、雨で一日順延となっての開催となりました。参加者は14名、スタッフは市民活動センターから1名、歴史民俗資料館(教育委員会)から1名、当会から2名のスタップを含めると18名となりました。スケジュール変更のため参加辞退者が数名おられました。

案内人は当会の前田ですが、随所で歴史民俗資料館(教育委員会)スタッフに助けてもらいながら、撞舞通り、般若院、頼政神社、しぶくり卵塔墓地、竹駒稲荷神社、旧高松家石蔵及び三笠宮来龍碑、本願寺不動堂、関鉄竜ヶ崎駅、高田権現神社と龍ケ崎市街地西地区の史跡旧跡を巡りました。特に今回は龍ケ崎の祖といわれている下河辺政義関連のことを中心に龍ケ崎の歴史の一端をお話しさせていただきました。

その概要は下記の通りです。

撞舞通りでは、撞舞は八坂神社の最終日に行われる祭礼です。なぜ八坂神社の祭礼が根町で行われているか?それは下河辺政義が貝原塚の八坂神社を根町に分霊し、最初の龍ケ崎のまちづくりを行いました。根町で撞舞が行われるのは八坂神社が根町にあった時の名残と考えられます。

般若院では、龍ケ崎の寺院の60%が天台宗であること。その訳は、室町時代から戦国時代にかけて、小野逢善寺(稲敷市)に談議所(天台宗の僧侶を育てる教練所)があり、ここで学んだ僧侶が近隣に羽ばたいて新たな寺院を形成したという歴史があります。この般若院も例外なく小野逢善寺によって開かれた寺院であること。八坂神社が根町に所在した時は般若院が別当を務めたこと。江戸時代には愛宕神社の別当を務めるなど、当地域の代表的な寺院でありました。

頼政神社は、下河辺政義が敬愛する源頼政を祀ったもので、この神社は下河辺氏の本拠地古河にも所在し、ここから分霊したものと考えられます。
伝説では頼政が自害する時「吾が首を東国に運んでくれ。吾が止まらんと欲するところに行き当たれば、首が重くなる。そこに吾が首を葬ってくれ。」と家臣に遺言を託します。さて、家臣はいわれたとおり、首を東国に運ぶと、突然馬が動かなくなるほど首が重くなり、そこに首を葬った。
この伝承が頼政神社の由縁となっています。

しぶくり卵塔墓地は、下河辺一族の墓地があったと考えられています。しぶくりとは下河辺が訛ったものという説があり、現在、卵塔は消滅しましたが、龍ケ崎の原点を知る上で重要な場所となっています。

竹駒稲荷神社は、本社は宮城県岩沼市にあり、江戸時代は仙台伊達藩によって庇護を受けた神社でありました。龍ケ崎が仙台領であった江戸時代に本社より分霊されたと考えられます。いわば龍ケ崎が仙台領であった名残でもあります。

旧高松家石蔵は昭和8年建築の大谷石で出来た蔵です。高松商店は砂糖の元締めをされた龍ケ崎を代表する豪商で、木村安兵衛を輩出した木村家と姻戚関係があります。また、高松家の高松彰一郎は女化に明治天皇近衛砲兵大隊演習(明治17年)の叡覧を記念した石碑を大正10年に建立しました。
今回は一週間後に行われる当会主催の「旧高松家石蔵資料展」のPRもさせていただきました。

米薬師堂は、江戸時代まで新町に所在した高森山本願寺の別院でありましたが、本願寺は龍ケ崎大火以降に廃寺となり、その後は天台宗般若院によって管理されております。江戸時代、薬師信仰を崇拝する伊達政宗の命により、東西の護りとして仙台領柱を立てました。その西の護りが米薬師堂になります。ちなみに東の護りは砂町薬師堂(医王院)になります。

関東鉄道竜ヶ崎と竜ケ崎駅に関しては、今年市民遺産に認定されたので、特別に歴史講座に組み入れました。馬車鉄道計画から始まり、現在に至る経緯についてお話しさせていただきました。
ちょうどこの日、関鉄ファンクラブのイベントが行われていましたので、関鉄レールメイトの代表の方に挨拶とお話をしていただきました。

高田神社は、下河辺氏一族の小山(おやま)氏の邸宅があった場所で、元々は小山氏の邸内神として祀られていたものが、土岐氏の時代に、熊野神を遷祀し権現社と称していましたが、同じく熊野神を祀っている江戸崎高田神社に見習って高田神社と称するようになりました。
今でも高田神社の付近を小山と呼んでいます。

般若院
頼政神社
旧高松家石蔵
関鉄竜ヶ崎駅にて関鉄レールメイトさんのお話し