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旧諸岡家門塀top 赤レンガ移築完成9年間の思い 在りし日の諸岡邸

保存推進事業 国登録有形文化財旧諸岡家住宅煉瓦門及び塀

~赤レンガ移築完成9年間の思い~
龍ケ崎市旧諸岡邸赤レンガ門塀の移築保存事業

全国町並み連盟発行「街並みかわら版」寄稿記事

2015年11月23日 移築完成記念イベント「また会えたね、赤レンガ」

風船が飛んだ。一つ、二つ、三つ・・・。色とりどりの100個の風船が晩秋の空へと舞い上がり、やがて豆粒のように小さくなり、視界から消えた。それは数分間のバルーンリリースであったが、その光景の中、これまでの苦渋が走馬燈のように脳裏を駆け巡った。

思えば9年前の夏のことである。「NPO法人龍ケ崎の価値ある建造物を保存する市民の会」(以下、NPO法人)へ諸岡家の赤レンガ門塀を含めた屋敷の建て壊しの一報が入った。取り分け赤レンガの門塀は明治末に建てられた、龍ケ崎100年の歴史を刻むまさに近代化遺産と言える建造物である。

建て壊しの知らせを受け、NPO法人は2006年8月、門塀だけでも何とか保存出来ないかと、一般市民、関係団体へ呼びかけて「赤レンガ保存実行委員会」(以下、実行委員会)を発足させた。

「個人のもので、洋風意匠・煉瓦造の門柱・塀の例では意匠・規模は勿論のこと、特に門柱の意匠の秀逸さは県内に比肩できる例は無い」と、神戸信俊氏(文化財保護・改修の専門家)は話された。そして「ぜひ残してください」と、発足まもない実行委員会へ激励をくださった。

誰が見ても立派な門塀である。大柱の高さが3.8m、小柱の高さが2.9m、表に面した塀の長さだけでも55mもある。

当初、私たちは現地保存が出来ないか手を尽くしたが、困難な移築保存の道しか残されなかった。

その年の9月、実行委員会は所有者の諸岡氏から赤レンガ門塀をそっくり譲り受け、移築保存へ向けて解体保管した。

実行委員会は慌ただしいスケジュールの中、解体直前の写真撮影会「また会う日まで、赤レンガ」を開催した。この情報は新聞各紙に掲載され、市内外からたくさんのカメラマンが訪れた。見物人も合わせるとその数1,200人、現地最後の赤レンガ門塀の雄姿を撮影、あるいは脳裏に焼き付けた。2か月後開催の写真展も大盛況であった。9年間の活動の中で、このときの写真にどれだけ救われたことか。定期的に行ったイベントではこの写真を展示し、市民の目に触れられる機会を増やした。解体から時間が経つにつれて懐かしさという価値が生まれた。写真を観た人から「ぜひ復元してください」と、激励と寄付金をいただいた。

移築方法、移築場所については、前野まさる先生(東京藝術大学名誉教授)が書かれた『上野奏楽堂物語』を参考書とし議論を繰り返した。前野先生とは「全国町並み保存連盟」のご紹介で以前から面識があり、旧小野瀬邸を龍ケ崎市にとって初めての登録文化財にする時ご指導いただいた。実行委員会主催の「上野赤レンガまち歩き」という見学会を企画した時には、先生のご案内で奏楽堂や藝大赤レンガ館1号館など見学し、移築に関するアドバイスと力強い激励をいただいた。

移築場所が決まったのは、解体から3年が経ってからである。市と協議の上、八坂神社裏隣、中央公園前の市有地となった。そこは古くから龍ケ崎の中心で、明治から昭和初期にかけて龍ケ崎小学校が所在し、諸岡家にも近く、歴史的な繋がりが感じられる。また、衰退いちじるしい中心市街地の中にあり、まちの活性化にも役立つ。移築場所としてこれ以上の立地はないだろう。

この事業で、もっとも困難を感じたのは募金活動であった。推定1千万円の移築資金が集まらないのである。2011年、3.11大震災の時は絶望さえ感じた。復興支援の募金活動が優先され、私たちの活動は約1年間ストップした。また地震にも耐えられる強度な耐震性が要求された。この時点で集まった寄付金は200万円だけで、解体費用として銀行から借り入れた借金の返済がやっとであった。

そんな絶望を感じていた頃、龍ケ崎市の市民提案型協働事業が出来たことを知った。市との協働で最大100万円の助成が受けられる制度である。

実行委員会は助成金についての勉強会を行った。市、協働課からのアドバイスもいただいた。公益財団法人東日本鉄道文化財団地方文化事業支援(以下JR文化財団)が文化財等の修復保存を支援していることを知った。JR文化財団の助成金は総工費の2分の1、最大500万円、市が窓口となることが条件である。

私たちは2年計画で、市とJR文化財団の2件の助成金を上手く活用出来れば何とかなると、淡い希望を持った。つまり、総工費が400万円とするならJR文化財団から200万円、市から100万円の助成金が受けられる。残り100万円は市民からの募金という計算である。これを2年間続ける。

実行委員会は改めて工事の見積もりを取り寄せ、門柱と塀の2期工事に分けての具体的な試算を出した。そして2012年、まず門柱移築(1期工事)のための2件の助成金申請をした。しかしJR文化財団の方は採択されなかった。震災復興事業が優先されたからだ。それでも諦めずに翌年2度目の申請をした。その吉報を受け取ったのは年が明けた2014年3月だった。希望通りの金額で採択されたのだ。この時の喜びは一入であった。これで停滞していた移築事業が大きく前進したのである。

移築の規模は、解体保管中に発生した破損が多く、また移築場所の敷地面積と予算を考慮し、塀の長さが約3分の1の17mと大幅な縮小となった。けれど、一番重要な門柱4本の大きさと門の幅はそのままである。

こうして、2014年10月、待望の1期工事(門柱の移築)が始まり、翌年の3月ひとまず終了した。移築が具現化すると募金活動が順調になり、寄付金が1年間で190万円も集まった。

2期工事(塀の移築)に向けての助成金も順調に採択さ、工事は7月に再開し10月15日に完了した。

総工費1,013万円 (市民負担420万円、JR文化財団・助成金393万円、市・助成金200万円、)の事業となった。

市は、移築完成に合わせ、諸岡家に残されていた100枚の御影石を譲り受け、門の前に敷き詰る工事を施行した。これにより赤レンガ門塀の見栄えがより豪華なものになり、この事業に携わった者に感動を与えてくれる。ここまで来るのに、解体から実に9年の歳月が流れた。

移築完成に関するニュースはローカル版ではあるが大手三紙が報じた。産経新聞、東京新聞、茨城新聞、タウン情報誌にも掲載された。こうして地元では誰もが移築完成のニュースを知ることとなった。

実行委員会は、この喜びをご協力くださった皆様と共に祝たく、11月23日、移築完成イベント「また会えたね、赤レンガ」を開催した。 当日はあいにくの小雨日よりだった。そのため予定されていた一部の演目が中止になったが、多くの市民が集まりイベントは盛大だった。市長からは感激のメッセージをいただいた。バルーンリリースは子どもたちも加わり、カウントダウンの合図によって100個の風船が一斉に放たれた。その間ゴスペルグループの美しい歌声が響きわたった。パンフルートの演奏やギターの弾き語りも素晴らしかった。室内の部では、元所有者諸岡氏の興味深いお話を聞くことが出来た。こうして時間とアイディアを尽くして企画した移築完成イベントは無事終わった。

私たちは今後、赤レンガ門塀と広場が一体となった活用を考えなければならない。既に写真撮影会を企画している。赤レンガ門塀の背後に公孫樹やメタセコイヤがそびえている。夏には新緑が美しく、秋の紅葉もカラフルで、移り行く季節ごとの美しさを捉えることが出来る。カメラロケーションとしては申し分ない。龍ケ崎の観光名所の一つになるだろう。赤レンガ門塀をコースに入れたウォーキングマップを作製したい。そのためにも文化財の申請を検討する必要がある。特出しているのは門柱であるが、大きさだけではなく、レンガとレンガの繋ぎ目地にも注目していただきたい。東京駅の赤レンガと同じ工法、覆輪目地とかえる股という日本独自の技法が施されている。この技術は現在継承されていない貴重なものだ。文化財としての価値は充分あるだろう。

私たち市民団体主導で行った今回の移築事業。これが成功したのは、実行委員長久保田房子を始めとし、私たちメンバーが一丸となり決して諦めなかったからだ。だから、たくさんの市民の協力があり、市の協力を得ることが出来た。そして市と協働出来たからこそJR文化財団の支援に恵まれた。感謝に堪えない。

このことは市民運動の大きな成果の一例として末永く誇れると思う。そして、市民活動日本一を目指す龍ケ崎市にとって大きな得点となった。

NPO法人龍ケ崎の価値ある建造物を保存する市民の会 理事長 前田享史
(移築完成当時 赤レンガ保存実行委員会 副委員長)