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筑波庵top 杉野翠兄 保存することの意義

保存することの意義

杉野翠兄は、江戸時代後期に仙台藩領であった龍ヶ崎で広大な農地を持つ大地主であり、また「伊勢屋」と号する老舗の油屋の主人でありながら、蕉門の道統を受け継ぐ大島蓼太(1718~1787)に師事。小林一茶など当代一流の俳人とも厚誼を結んだ常陸、下総を代表する文人として知られている。杉野翠兄旧宅は、本会が保存に努めている江戸後期に遡る古建築であり、師大島蓼太をはじめ、友人、門人が集った歴史的な場所である。龍ヶ崎の鎮守八坂神社の近く、近現代の区画整理の及んでいないところに、旧宅はひっそりと佇んでいた。

現在、地所はこぢんまりとしているが、往時は龍ヶ崎屈指の豪商であった杉野家の別邸としての風情を湛えていたことであろう。旧宅の外観は、いかにも古い様子であり、茅葺とおぼしき屋根の上にはトタンが置かれている。屋根の特徴は翠兄の師蓼太の句「露霜を兼ねてぞ庵は筑波葺」によって筑波山の双峰を彷彿とさせるものであったと推定されるが、現在はその様子を窺うことはできない。玄関の引き戸を開けると6畳から7畳の部屋があり、その左隣りの7畳間が、古様を示している。杉材と思しき床柱を据えた床、床脇には地袋のついた棚がある。この設えが当時のものであるかは詳しい調査が必要であるが、地袋の大きさが比較的大きなものであることから書籍などを入れていたのではと想像することができ、文人としての翠兄の在り様を感じさせる造りとなっている。鴨居には、直径5㎝程度の円形の釘隠し(恐らく赤銅製)が打たれ、一見数寄屋風の簡素な室内に格式を与えている。翠兄その人が門人たちと過ごした居室の雰囲気を最も色濃く残している部屋といえよう。

屋内は、かなり傷んでおり、床板、根太、各部屋の柱は、虫害、雨漏りによる腐食が進んでいる。ただ、建物の生命である小屋組みは健在であり、保存に向けて一縷の望みがあるように思われた。

龍ヶ崎の地において、常陸から下総にかけての門人数百人に対し、蕉門の俳風を伝えた翠兄は、まさに龍ヶ崎における教育の先駆者であり、その功績を市内の子ども達に伝えていくことには大きな意味があると考える。そのためにも、現在、奇跡的に残っている旧宅を保存維持し、翠兄が門人を育成した空間そのものを、子ども達が体験できる施設として生かしていく方法を考えていきたい。非力であるが、今後、建物の実測調査等、保存に向けて力を尽くしていきたいと強く思った。

流通経済大学経済学部教授 中原篤徳(当NPO法人理事・顧問)