筑波庵(杉野翠兄旧宅)

所在地 茨城県龍ケ崎市上町4269

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屋根が筑波山の形をしていることから筑波庵と呼ばれているこの屋敷は、江戸中期の学校(俳句の道場)で、近世の俳諧における貴重な文化財と考えられます。

建物の構造は木造平屋、藁葺屋根(現状はトタン葺き)和室3間の他増築部分に台所と風呂場があり、いたって質素な造りです。質素な中にも、翠兄時代のものと思われる、床の間の落とし掛け、長押しの雛止め部分や釘隠し、杉材による一枚板の金具など格調高い意匠となっています。

近年は空き家であったため、ゴミが散在した廃屋同然の状態となっていました。
2012年、この屋敷の所有者は杉野翠兄(すぎのすいけい)という偉大な俳人の旧宅であったことを考慮し、市へ寄付するとの話があり、当NPO法人鈴木顧問理事を中心とし保存に向けての協議が行われました。そのために、市は調査に向けて、関係団体に応援を求め足の踏み場が無いぐらいゴミが散在している屋敷及び庭の清掃作業を行いました。関係団体とは、「財団法人龍ケ崎市まちづくり・文化財団」、「上町長寿会」、「当NPO法人」です。
調査の結果、市は維持管理が難しいということで、寄付の話は消滅してしまいました。

現状は朽ち果てるのを待つだけの状態となっています。当NPO法人は、これを何とか次世代に残せないかと模索しながら、所有者と話し合い、庭内の最低限の維持管理をしております。

建物だけでありません。邸宅内には服部嵐雪の句碑もあります。これらを史跡として、また翠兄の功績が体感出来る施設として、生かしていく方法を考えております。

 

7畳半の和室(左) 外観(右)

杉野翠兄は宝暦4年(1754)、龍ケ崎村の油商を営む杉野治兵衛家に生まれました。家業を継ぎ世襲名杉野治兵衛を名乗りますが、その傍ら江戸に出て松尾芭蕉の流れを汲む俳人大島蓼太(おおしまりょうた)の弟子となり江戸俳諧で活躍しました。
天明元年(1782)翠兄は筑波山の鳥居傍に嵐雪の碑を建てました。嵐雪とは大島蓼太の師、服部嵐雪のことで、このことがきっかけとなり翠兄への入門者が増えました。そして、翠兄は弟子の教育の場として龍ケ崎上町に筑波庵を建てました。弟子の数は数百人と言われ、常陸、下総、下野に江戸俳諧をひろめました。七畳半の和室は翠兄が活躍した往時を偲ぶことが出来ますが、著しく老朽化しています。
敷地には嵐雪の碑があり「めい月や柳の枝を空へふく」と刻まれています。蓼太の没後は江戸俳諧の雄の一人といわれ、小林一茶とも交流があったようです。文化10年(1813)60才で没し大統寺に葬られています。



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