旧諸岡邸赤レンガ門塀

所在地 茨城県龍ケ崎市上町4274(八坂神社裏手)

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「まちづくりに生かそう歴史をつなぐ赤レンガ」を合言葉に、解体から9年の歳月を経て2015年秋に赤レンガ門・塀は移築は完成しました。
当NPO法人は、この事業を行った赤レンガ保存実行委員会を支援する団体として保存に向けて全力を尽くしました。

現在も引き続き、維持管理及びイベントに協力しています。
詳しくは赤レンガ保存実行委員会のHPをご覧ください。

八坂神社裏手の中央公園に移築された赤レンガ門塀

旧諸岡邸赤レンガ門塀の概要

明治末、関東鉄道竜ヶ崎駅近くに建てられた諸岡邸の赤レンガ門塀を移築した建造物です。移築前は、通りに面した東側で長さ 55メートル、大柱の高さ3.8メートル。個人邸洋風煉瓦門塀として、全国的にも特筆される規模を持つものでした。門柱4本のデザインも秀逸で、東京駅と同じ覆輪目地(フクリンメジ)で施工された貴重な近代化遺産です。
2006年に、この赤レンガ門塀の土地が別途使用となり、取り壊されることになっていたものを市民有志が移築を目ざし保存運動を始めました。この運動を通して集まった市民からの募金及び市と東日本鉄道文化財団からの助成金により、9年の歳月を経て2015年秋に八坂神社隣の市有地に移築が完成しました。
覆輪目地とは、半円形で中央を盛り上がらせて目地を強調する工法で、レンガを美しく際立たせる効果があります。現在この技法は伝承されておりませんので大変貴重なものです。移築の規模は大柱の高さ:3.8m 小柱の高さ:2.9m 塀の高さ:2.2m 塀の部分:9m 全長:17m。移築場所等の関係で、塀の長さは全体(表通りに面した東側)の3分の1程度になりました。

この諸岡邸は諸岡良彦氏(現所有者)の祖父良夫氏が大正10年(1921)2月に内科・外科・耳鼻咽喉科医院として新築・開業したものです。そのレンガは、門柱の高さが3.8メートル、塀の長さは約35メートルに及ぶもので、東京駅と同じレンガが使われ、地方都市では規模も大きく、時代の先端を行く建造物として、評判を呼び、市民の目を楽しませてきました。
諸岡良夫氏の父良佐氏は米町の代々庄屋を務めた諸岡家の分家、検事正を経て実業界に入り、龍崎銀行頭取や龍崎鉄道社長(6代)を勤め、あるいは第11代町長(大正2年9月~大正4年4月)として町政発展に尽くした。また竜ヶ崎二高の前身、町立龍ヶ崎女子技芸学校の設立、龍ヶ崎中学校の充実に努め、その顕徳碑は米町薬師堂境内に建っています。
その長男に生まれた良夫氏も医業の傍ら、龍崎鉄道社長(8代)、消防組頭などの要職にあり、さらに第17代・18代(昭和2年4月~昭和7年6月)の町長として龍ヶ崎町政の発展に尽力しました。任期中の主な業績の一つに、長く校医をも勤めました。氏の業績を象徴するものとして、昭和2年の町章制定があります。「龍玉を据んで発展」を意味するこの町章は、町民に図案を募集して制定したもので、現在もそのまま龍ヶ崎市章として用いられています。

大正時代の諸岡邸赤レンガ門塀